空引機からジャカードへ

 「Life#02]  阿久津光子

 

ジャカードとは、1801年にジョセフ・マリー・ジャカールが発明した紋紙を使用した紋織の装置で、同年、彼のジャガード織機はパリ産業博覧会で発表され、直ちにその可能性が認められた。

 

ジャカード織機は、中国で精巧な柄の絹織物を織るために用いられた花機(または提花機)と呼ばれる空引機を直接受け継いだものといえる。 文様を出すために必要な経糸を引き上げる操作を、織機の上部に人 (空引工)が上がり、織り手と呼吸を合わせて製織していた。 シルクロードを経て西欧へと伝わり、フランスの空引機はさらに時を経て、19世紀初頭のジャガード織機へと受け継がれた。

 

西欧では空引工をドローボーイ(引き手)と呼んでいたが、空引工に代わる装置を求めて数々の工夫がなされた。1603年頃、フランス人のM.シンプロットがサンプルと呼ばれる紐を使用する方法を考案して以降、フランスから日本に誘導されたミラノの織物職人の1人、クロード・ダンゴンが滑車装置によって経糸を引き上げる方向を水平方向に変更した織機を1605年に発明。これにより機上のドロボーイは地上に降りて織機の側面で経糸の開口を操作できるように改良され、さらに大きな柄も織れるようになった。

 

その後改良に次いで、1725年にブションが孔のある紙を使用して織り始め、1728年にファルコン・ルームが発明され、これがジャカード機の考えの第一歩となっているとされる。1746年、さらにジャック・ド・ヴォーカーソンが改良して現在のジャカード機に極めて近いものにした。しかし、操作の煩雑さや当時失業を恐れた織工たちの強い反対などから普及しなかった。

 

その50年後、ジョセフ・マリー・ジャカール(1753-1834)は博物館に眠っていたヴォーカンソンの織機を掘り起こし、入力に使っていた巻紙を、糸で繋ぎ合わせた厚紙のカードに替えて操作を簡便化した。ジャカールは初めて紋引き部分の装置を織機の頂上に設置し直接経糸を引き上げる型式に改善したジャカード装置を1801年に完成させた。この型式は現代でも使用されているものもあるが、18世紀になされたさまざまな工夫、改良の集大成といえる。1812年までにフランスでは11.000台ものジャカード織機が使われるほど普及し、 1830年代半ばまでにリオンのほとんどの織機がジャカード織機へと転換したが、やはり発表当時、ジャカード織機によって織を失うことを恐れた絹の織機り職人たちが織機を破壊したという。 彼の死の6年後、織機が破壊されたその場所にジャカールの銅像が建てられた。

 

ジャカード装置とは、紋紙に孔を開けることで経糸を引き上げるか否かのプログラムを記録し、織機に動きを指示するものである。紋紙の1枚の全体の孔が緯糸の1段分に対応し、模様の1リピート分が繰り返されるように、すべての紋紙がキャタピラー上に繋ぎ合わされている。 絵柄の大きさに応じて緯糸段数分の紋紙が必要で、その装置により1枚ずつ回転して経糸を引き上げることで緯糸を入れる開口が開き織り進むことができる。

 

1枚の紋紙に孔を開ける(経糸を引き上げる)、孔を開けない(経糸はそのまま)、オンオフまたは1か0か、というこの紋紙の2進法の考え方は、現在のコンピュータの原型といわれる計算機へと繋がる。

 

出典:阿久津光子