Anni Albers
1919年に創設されたドイツの造形学校「バウハウス」の織物工房において、女性初のマイスターになったグンタ・シュテルツルと並び、アンニ・アルバース(1899~1994)も特筆すべき女性アーティストの1人である。
アンニは素材と構造(組織、経糸と緯糸との関係)にその主眼をおき、織りにとって1番大切なこととして後進に繰り返し伝えている。実用的なテキスタイルデザインとして織をとらえ、少ない色数で垂直線、水平線など経糸と緯糸との関係から導かれる無理のないシンプルなデザインを、素材をできるだけ絞り込み、簡潔な織構造で表現している。この思考法は1925年に結婚したヨーゼフ・アルバース(1888~1976)の影響も大きいだろう。ヨーゼフは1920年から23年10月までバウハウスの学生であったが、予備課程を指導していたヨハネス・イッテンがバウハウスを去った1923年から予備課程を担当、指導している。ヨーゼフは「素材論と技術論」の授業で物質、素材をテーマにした練習を課しているが、限られた材料を徹底的に研究し、可能な限り素材の特性を生かし、無駄なく利用し尽くすことを要求している。
アンニはバウハウスの工房での共同制作に依存せず、独自の織物を研究した。1929年ベルナウ、ADGB(全ドイツ労働組合総連合)連合学校の講堂のためのカーテン素材として、セロファンを織り込んだ面で光を反射し、シニョール糸を織り込んだもう一方の面では音を吸収する生地を開発した。ベルリンのツァイス・イコン・ゲルツ製作所は、科学的にその生地をテストして彼女の想像の有効性を確認し、その正式な認可証を書いた。
またアンニはジャカード壁掛けの制作においても、シンプルなデザインを実現するために紋紙を作る作業も簡潔で間違えにくいものとし、その倫理的な思考法はアンニの織物に一貫した特徴となっている。
1933年にバウハウス閉鎖後、アルバース夫妻はノースカロライナに新設されたブラックマウンテンカレッジに招聘されアメリカへ亡命した。アンニは助教授として1933年から49年まで織の指導にあたったが、アンニに学んだ世代がさらに新しい時代を築き、デザイナー、教育者そしてアーティストとして活躍している。
自国ドイツでは1960年代初頭までバウハウスは顧見られなかったが、1938年ニューヨーク近代美術館で開催された「バウハウス1919-1928」展では、グンタ・シュテルツル、アンニ・アルバースたちの壁掛け、絨毯、産業のための織物見本などが展示され広く紹介された。 さらに1949年、アンニ・アルバースはニューヨーク近代美術館で個展を開催した最初の織り手となった。
アンニは退職後も織の仕事を続けながら、バウハウスの思想、手織りについての講演や執筆など積極的に活動している。アンニの著者「オン・ウィーヴィング」(1965年)は手織りを学ぶ人々にとってバイブル的な存在である。そしてすでにその潮流が始まっている繊維芸術に応えて、1969年ニューヨーク近代美術館は「ウォールハンギング展」を開催、グンタ・シュテルツルとアンニ・アルバースの作品を展示し、 20世紀の芸術の文脈の中でクラフトの概念を修正し、2人の作品をこの分野での先駆的なものとしてその織物を認めている。 1990年、ニューヨーク近代美術館はこの2人の永久コレクションである織物を展示し「素材、構造、色彩における創造的な実験」に対し名誉を与えた。
出典:阿久津光子