糸を交差する

「Time j-16」 阿久津光子

人間が糸を紡ぎ織物をつくりだしたのは、紀元前5000年前のことであるが、ユトランドで出土した青銅器時代の男性衣服(コペンハーゲン国立美術館蔵)をみると、紀元前1500~1100年頃には織物を作る高い技術力を有していたことがわかる。 それは無地のシンプルな布地で作られ、たっぷりとしたガウンや帽子までもある。気の遠くなる時間を技術改良を積み重ねてきた人間が、まずは「用」を満たすことでたどり着いたとしても満足できるかというとそうではなく、そこに同時に、そしてさらに「美」の要素を求め続けてきた事は疑いようもない。

 

美の追求は人類にとって文明文化の大きな発展要素であったに違いない。無地ではなく、糸の交差をどのように操作するかということが、そこに美しい模様を織り出し、何らかの装飾を促す工夫へとつながる。赤、青、黄色の「色の3原色」(物体色)が、これ以上分解できない色の基本として一般によく知られているが、織では糸の構成の仕方を「織物組織」と称し「平織り」「綾織」「繻子織」の3種類に大きく分類、これを「3原組織」と呼んでいる。

 

経糸、緯糸の交差する、「組織点」を方眼上に黒と白で表したものを「組織図」というが、複雑な織柄もこの組織図によりその構造と織り方までもわかる世界共通言語だ。

 

経糸と緯糸との交差をする位置を規則的にずらすことで、そこに文様が現れてくる。平織は経糸と緯糸とが一本交互に組み込まれ、綾織では糸の交差する点が斜めに移動して斜文が表現される。 この2つの組織は堅個であり、幾何学柄を想像しやすい構造で、大変古くから用意られ紀元前の遺跡から出土品に多くみられる。

繻子織は組織点が隣同士連続しないように規則的にずらしてあり、経糸または緯糸の飛び数が多くなる分、構造が不安定になるが、人の交差が少ないため表面に光沢を得られ、また複雑な模様を織り出すことに適しているといえる。

 

織物以前に草や葉などをお互い違いに組んでいて、うっかり目を飛ばしたときにできたキズ、影が文様のヒントとなって、規則的に目を飛ばすことで新しい模様や、組へと応用発展させただろうと言われている。そしてより複雑な模様を表現したいという欲求は、様々な工夫を手間を惜しまずに施して美しい織物を生み出していることになる。

 

出典:阿久津光子